丘のうしろは、小さな湿地になっていました。そこではま
っくろな泥が、あたたかに春の湯気を吐き、そのあちこちに
は青じろい水ばしょう、牛の舌の花が、ぼんやりならんで咲
いていました。タネリは思わず、また藤蔓を吐いてしまって、
勢いよく湿地のへりを低い方へつたわりながら、その牛の舌
の花に、一つずつ舌を出して挨拶してあるきました。
宮沢賢治「タネリはたしかにいちいち噛んでいたようだった」より |
「栗の木、起きろ。」と云いながら、うちの方へあるきだしました。日はもう、よっぽど西にかたよって、丘には陰影もできました。かたくりの花はゆらゆらと燃え、その葉の上には、いろいろな黒いもようが、次から次と、出てきては消え、でてきては消えしています。タネリは低く読みました。
「太陽は、
丘の髪毛の向うのほうへ、
かくれて行ってまたのぼる。
そしてかくれてまたのぼる。」
タネリは、つかれ切って、まっすぐにじぶんのうちへもどって来ました。
「白樺の皮、剥がして来たか。」タネリがうちに着いたとき、タネリのお母さんが、小屋の前で、こならの実を搗きながら云いました。
「うんにゃ。」タネリは、首をちぢめて答えました。
「藤蔓みんな噛じって来たか。」
「うんにゃ、どこかへ無くしてしまったよ。」タネリがぼんやり答えました。
「仕事に藤蔓噛みに行って、無くしてくるものあるんだか。今年はおいら、おまえのきものは、一つも編んでやらないぞ。」お母さんが少し怒って云いました。
「うん。けれどもおいら、一日噛んでいたようだったよ。」
タネリが、ぼんやりまた云いました。
「そうか。そんだらいい。」お母さんは、タネリの顔付きを見て、安心したように、またこならの実を搗きはじめました。
引用:青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/ |
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